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2013/01/05

ハンガリーの旅(ブダペスト・エステルゴム) Part6‐鉄道でスロバキアのŠtúrovoへ、マリア・ヴァレリア橋を渡ってハンガリーのエステルゴムへ

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ハンガリー3日目に入りました。

ハンガリー国鉄の国際列車でスロバキアのŠtúrovoへ


この日はブダペストを飛び出して、ハンガリーとスロバキアの国境に掛かるマリア・ヴァレリア橋(Maria Valeria Hid)を目指します。


僕はスロバキア側から橋を渡ろうと思い、スロバキア側の国境都市Štúrovoまで鉄道で行くことにしました。
僕は前日にブダペスト東駅(Budapest Keleti Pályaudvar)の切符売り場でŠtúrovoまでの切符を購入。
席種は2等席で、価格は1,850フォリント(約740円)でした。


ブダペスト東駅からŠtúrovo駅までの切符

宿泊先のホテルBoutique Hotel Bristol Budapest(追記:2016年10月5日現在はThe Three Corners Hotel Bristol)で朝食を済ませた後、列車の発車するブダペスト東駅へ向かいました。


ブダペスト東駅は、ハンガリー国鉄(MAV)の運行するハンガリー国内列車だけでなく、オーストリア国鉄(ÖBB, Die Österreichischen Bundesbahnen)運行のレールジェット(RailJet)等近隣諸国を通る国際列車も発着するブダペスト最大のターミナル駅です。
また、ブダペスト最大のターミナル駅とあって駅舎も歴史ある豪華な造りになっていて、旅情の雰囲気が一層高まりました。


歴史ある豪華な造りのブダペスト東駅の駅舎


ブダペスト東駅の内部


ブダペスト東駅に停車中のオーストリア国鉄レールジェット


ブダペスト東駅の発着電光掲示板。
ハンガリー語・英語・ドイツ語の3ヶ国語表記。
ハンガリーの地名だけでなく、
オーストリアのザルツブルク(Saltzburg)行き列車・ドイツのミュンヘン(München)からの列車・ルーマニアのブカレスト(București)からの列車の表示も見えます。

僕は9:25ブダペスト東駅発ベルリン行きEC『ハンガリア(Hangaria)』に乗車!
僕が乗車したのは2等席でしたが、日本人の僕にとっては十分な広さで、ゆったりと座りながら車窓を眺めることができました。


ブダペスト東駅6番ホームで発車を待つベルリン行きEC『ハンガリア』


ハンガリー国内はハンガリー国鉄所属電気機関車で走るようです。


ベルリン行きEC『ハンガリア』客車内に張り出されていたハンガリー国鉄の路線図。
首都ブダペストを中心にして放射状に路線が延びているのがわかります。


ベルリン行きEC『ハンガリア』客車2等席の内部。
2等席でも日本人の僕にとっては十分の広さでした!


スロバキアのŠtúrovo駅に到着!



僕としては、どこでスロバキアに入るのか注目しながら車窓を眺めていたのですが、はっきりとした標識がなく、結局いつ国境を越えたのかわからずじまい(汗)。
そうしている内に、ブダペストを発って約1時間半後、定刻通りにŠtúrovo駅に到着しました(汗)。


恐らく国境を越えたようですが、いつスロバキアに入ったのか全くわからず。。。


ブダペスト出発から約1時間半後、スロバキアのŠtúrovo駅に到着。
列車の発車を見送る地元の人。


Štúrovo駅の駅舎。
駅名の上部にある、国旗の一部と同じマークを見ると、スロバキアに来たことを実感!


Štúrovo駅は貨物の一大ターミナル駅のようで、かなりの数の側線に貨物列車が停車していました。




Štúrovo駅の位置


Štúrovoの町を歩く


Štúrovo駅周辺には1軒のアパートのみで、これといって栄えている様子は全くなかったため、直ぐにŠtúrovo駅を後にし、マリア・ヴァレリア橋のある方向に歩いてみました。
が、思った以上に距離があり、マリア・ヴァレリア橋の近くにあるŠtúrovoまで40分近くも掛かってしまいました。。。


Štúrovo駅を出発して30分くらいは、住宅地或いは畑が続きます。


Štúrovo駅から歩き続けて約40分後、個人商店・レストラン・スーパー等が立ち並ぶŠtúrovoの市街地が現れました。


ドナウ川(Dunaj)の川岸まで行くと、第一次・第二次世界大戦時にŠtúrovo周辺で行われたホロコーストにより犠牲になった人の追悼碑と思われる石碑や、スロバキア語・ハンガリー語・英語表記のŠtúrovo観光案内図がありました。


ドナウ川(Dunaj)の川岸からマリア・ヴァレリア橋を望む。


年代と「Holocaust」の文字から、第一次・第二次世界大戦時にŠtúrovo周辺で行われたホロコーストで犠牲になった人の追悼碑と思われます。


スロバキア語・ハンガリー語・英語表記のŠtúrovo観光案内図


英語表記によるŠtúrovoの歴史の概略説明。
ハンガリー領の時期が長かったこの地が旧チェコスロバキアの領土になったのは、歴史的に見れば以外に最近の1918年のことだそう。
1918年ということは、恐らく第一次世界大戦後の戦後処理で変更になったと思われます。


Štúrovo駅からマリア・ヴァレリア橋までの徒歩推奨ルート。
僕は50分のルートを歩きました。


マリア・ヴァレリア橋を渡ってハンガリーのエステルゴムへ


短すぎる(苦笑)スロバキア滞在を終え、いよいよマリア・ヴァレリア橋を渡って、ハンガリー側の国境都市エステルゴム(Esztergom)に向かいました。


自分の足で歩きながら国境を越えるのは初めての経験ということと、橋から見えるドナウ川(Duna)とエステルゴム大聖堂(Esztergomi Bazilika)の景色が非常に素晴らしく、終始興奮状態で渡りました(笑)


尚、スロバキアとハンガリーが欧州連合(EU, European Union)に加盟した年が2004年ということで、それ以前であればもしかしたら出国審査・入国審査があったかもしれない、ということを考えると、出国審査・入国審査なしで国境を自らの足で越えたことに対しては、さっぱりし過ぎの感は多少否めませんでした(苦笑)。



マリア・ヴァレリア橋(Maria Valeria Hid)の位置


ハンガリー側の国境都市エステルゴムへ向かいます!


ハンガリー側からマリア・ヴァレリア橋を渡り切った時に現れる標識


ドナウ川のスロバキア側川岸から見たエステルゴム大聖堂



いよいよマリア・ヴァレリア橋を渡り始めます。


マリア・ヴァレリア橋スロバキア側入口に見えるスロバキア国章とŠtúrovoの市


上からスロバキア語・ハンガリー語・英語で、「マリア・ヴァレリア橋 1895年竣工」


上からスロバキア語・ハンガリー語・英語で、「マリア・ヴァレリア橋は1944年に一度破壊されたものの、スロバキア・ハンガリー、そしてその他欧州諸国の支援により、2001年に修復された」


マリア・ヴァレリア橋ほぼ中間地点からの、ドナウ川とエステルゴム大聖堂の景色!


いよいよスロバキア(SR)とハンガリー(M)の国境に立ちました!


スロバキア側からは、ハンガリーの国旗と、ハンガリー語でのハンガリーの呼称「Magyarország(マジャールオルサーグ)」の文字が見えます!


国境を越えて、スロバキア側からは、スロバキアの国旗と、スロバキア語でのスロバキア共和国を意味する「Slovenská republika」の文字が見えます!


マリア・ヴァレリア橋を渡り切ると、ハンガリーの国章とエステルゴムの市章が見えました!


Part 7へ続く。


ハンガリー旅行についての情報は、下記の書籍もご参考に!