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2013/08/15

オーストリアの旅(ウィーン・リンツ) Part 5-ベートーヴェンが半生を過ごしたウィーンで、ベートーヴェン縁の場所を訪ねる!

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ウィーンはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン縁の地


午後からは、現ドイツのボン(Bonn)生まれで、難聴を抱えながらも素晴らしい曲を数多く残した大作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig Van Beethoven)の、ウィーンでの縁の地を訪ねることにします。


1770年にボンで生まれたベートーヴェンは、17才のとき初めてウィーンを訪れました。
モーツァルトに師事するためでしたが、ウィーンに着いてまもなく母が危篤となり、ボンへ戻りました。
再びウィーンへ来たのは22才のときで、モーツァルトが世を去っていたため、ヨーゼフ・ハイドンの弟子となりました。
そして今回は、そのままウィーンに留まり、1827年に世を去るまで35年間、この土地で生活したのです。
 
ウィーン市観光公式ウェブサイト日本語版「ウィーンのベートーヴェン」より


路面電車でヌースドルフ停留所へ向かう


まずは、「田園(Pastoral)」という副題でもお馴染みの交響曲第6番の内、第2楽章のモチーフとなったと伝えられているベートーヴェンの散歩道(Beethovengang)を訪ねることに。


市庁舎前広場・ブルク劇場停留所(Rathausplatz/Burgtheater)からウィーン市電D系統に乗り、終点のヌースドルフ(Nußdorf)停留所で下車しました。


市庁舎前広場・ブルク劇場停留所からウィーン市電D系統に乗車!


ヌースドルフ停留所に到着!


ヌースドルフ停留所周辺は、都会の喧騒から離れたのどかな雰囲気!



ウィーン市電ヌースドルフ(Nußdorf)停留所の位置


ベートーヴェンの散歩道を歩く



ヌースドルフ停留所近くから始まるベートーヴェン通りを、僕のiPodに入れていた交響曲第6番を聴きながら散策することに。


ヌースドルフ停留所近くにあるベートーヴェン通りの始点。
写真左側に見える標識に、ドイツ語で「Beethovengang」と書かれています。


実際に歩いてみると、小川の流れる小規模な雑木林と一戸建て住宅が延々と続いていました。
副題で付けられている「田園」とは異なる感じで、当時これほどまでの住宅がなかったとしても、「田園」と呼べるような景色ではありませんでした。


一方で、交響曲第6番第2楽章のメロディーラインは緩やかに流れているのが特徴なので、小川が静かにゆったりと流れている音とメロディーラインが重なり、とても心休まる時間を過ごすことができました!



ベートーヴェンの散歩道。
写真左側には小川が流れ、右側には一戸建て住宅が並びます。


ベートーヴェンの散歩道は雑木林に覆われていますが、かすかな太陽の光が差し込んだ時の風景が素晴らしい!


ベートーヴェン胸像現る!



ベートーヴェンの散歩道を歩き始めて20分、ベートーヴェンの胸像が見えてきました。
刻まれていたドイツ語を見ると、「1863年6月15日除幕(ENTHÜLLT AM 15. JUNI 1863)」とあり、ベートーヴェン死去36年後に製作されたようです。


ウィーン市公式ウェブサイトが運営する「ウィーン歴史ウィキ(ドイツ語)」を見ると、この胸像はウィーンで初めてのベートーヴェン記念碑だそうで、 アントン・ドミニク・フォン・フェルンコルン(Anton Dominik von Fernkorn)という人が製作したのだそうです。


※参考リンク
ベートーヴェン記念碑|ウィーン歴史ウィキ(ドイツ語)


1863年に除幕されたというベートーヴェン胸像。
顔が凛々しい!


プロブス通り沿いにある、ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタット



次に訪ねたのは、プロブス通り(Probusgasse)沿いにある、ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタット(Beethoven Wohnung Heilingenstadt)
ここは、ベートーヴェンが1802年に所謂「ハイリンゲンシュタットの遺書(Heiligenstädter-Testament)」を書き、難聴の苦しみを綴った住居として知られています。
交響曲第2番の作曲もこの家で行ったそうです。


※参考リンク
ウィーンのベートーヴェン|ウィーン市観光公式ウェブサイト日本語版
ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタット公式ページ(英語)




ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタット(Beethoven Wohnung Heilingenstadt)の位置


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタット。
赤白旗と「BEETOVEN-HAUS」の文字が目印。


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタットの入口。


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタットに展示されている、「ハイリンゲンシュタットの遺書」のコピー


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタットには、亡くなる直前に友人や甥のカール(Karl von Beethoven)宛てにベートーヴェンが書いた手紙のコピーやデスマスクも展示されています。


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタットに展示されている、ベートーヴェン亡くなる前に友人宛てに書いたという手紙のコピー。
死の間際とあってか、文字の形が結構崩れているのがわかります。


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタットに展示されている、ベートーヴェン亡くなる前に甥カール宛てに書いたという手紙のコピー


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタットに展示されている、ベートーヴェンのデスマスク。
見ているだけでも何だか恐ろしさや神々しさが伝わってきます。


ベートーヴェン住居ハイリゲンシュタット


◎開館日

火曜日~金曜日


◎開園時間

10:00~13:00、14:00~18:00


◎休館日

月曜日、1月1日、5月1日、12月25日


◎入場料

5ユーロ

19歳以下は無料
第一日曜日は無料開放


ベートーヴェン住居ハイリンゲンシュタットから、路面電車でウィーン中心部へ



最後に、ウィーン中心部のリング通り(Ringstraße)沿いにあるベートーヴェン・パスクアラティハウス(Beethoven Pasqualatihaus)。に向かうため、デーブリンガー温泉(デーブリンガー温泉(Döblinger Bad)停留所からウィーン市電に乗車、路線を乗り継ぎました。



デーブリンガー温泉(Döblinger Bad)停留所の位置


デーブリンガー温泉(Döblinger Bad)停留所からウィーン市電37系統に乗車!


ベートーヴェン・パスクアラティハウス


ウィーン市電を乗り継いで40分、ウィーン大学(Universität Wien)の真向いにあるベートーヴェン・パスクアラティハウスに着きました!


ベートーヴェンはパスクアラティハウスの4階に8年間居住し、交響曲第4番・第5番「運命」・第7番・第8番・ピアノ曲「エリーゼのために」等数多くの楽曲をここで作曲したそうです。


※参考リンク
ウィーンのベートーヴェン|ウィーン市観光公式ウェブサイト日本語版
ベートーヴェン・パスクアラティハウス公式ページ(英語)


当時の所有者の名前で呼ばれる建物はウィーンの中心部にあり、ここでベートーヴェンは1804年から1815年の間、繰り返し居住し、オペラ「フィデリオ」や「エリーゼのために」などのピアノ曲を作曲しています。
ウィーン市観光公式ウェブサイト日本語版「ウィーンのベートーヴェン」より


ベートーヴェン・パスクアラティハウス。
実際の展示室はこの建物の4階まで階段で上る必要があります。



ベートーヴェン・パスクアラティハウス(Beethoven Pasqualatihaus)




ベートーヴェン・パスクアラティハウスに展示されている、実際にベートーヴェンが使用していたというピアノ。
鍵盤の数は少ないですが、ペダルが5個も付いています!


ベートーヴェン・パスクアラティハウスに展示されている、ベートーヴェンの肖像画


ベートーヴェン・パスクアラティハウスにも、ベートーヴェンのデスマスクが展示されています。


このベートーヴェンの肖像画はひと際かっこいいバージョンですね!(苦笑)


ベートーヴェン・パスクアラティハウスから眺める、ウィーン大学校舎とウィーン市電


ベートーヴェン・パスクアラティハウス

◎開館日

火曜日~金曜日


◎開園時間

10:00~13:00、14:00~18:00

12月24日~31日は10:00~13:00


◎休館日

月曜日、1月1日、5月1日、12月25日


◎入場料

5ユーロ

19歳以下は無料
第一日曜日は無料開放


Part 6へ続く。


ウィーン旅行やベートーヴェンについては、こちらの書籍&CDもご参考に!



オーストリアの旅(ウィーン・リンツ) Part 4-ウィーンのリング通り沿いにある国会議事堂、ウィーン市庁舎、ウィーン大学、ヴォティーフ教会周辺を散策!

Part 1はこちら
Part 2はこちら
Part 3はこちら


地下鉄U4線で、シェーンブルン駅からカール広場駅へ



シェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)の観光を終えた僕は、再び中心部に向かおうと、シェーンブルン駅(Schönbrunn)から地下鉄U4線に乗り、カール広場駅(Karlsplatz)で下車。


地下鉄U4線で、シェーンブルン駅からリング通り方面へ向かいます。


カール広場駅から歩いて直ぐのところにあるウィーン国立歌劇場(Wiener Staatsoper)近くの停留所からウィーン市電2系統に乗り、リング通り(Ringstraße)周辺の名所を巡ることとしました。


地下鉄U4線カール広場駅で下車し、オペラまで歩きました。


オペラ停留所からウィーン市電2系統に乗り込みました。
B1形の車内には停留所を知らせたり、広告が流れる液晶モニターが付いていました。


国会議事堂



シュタディオン通り・国会議事堂停留所(Stadiongasse/Parlament)で下車すると、まるでギリシャのパルテノン神殿のようなオーストリア国会議事堂(Österreiches Parlament)が目の前に現れました!


そう感じたのも間違いではないようで、オーストリア議会公式ウェブサイト「建物とガイド」(ドイツ語)を見てみると、デンマーク生まれの建築家テオフィル・ハンセン(Theophil Hansen)が、民主主義の概念が生まれたギリシャのヘレニズム建築を参考にデザインを練り、10年の歳月を掛けて1883年に完成したのだそうです。


尚、テオフィル・ハンセンは、ウィーン楽友協会(Gesellschaft der Musikfreunde in Wien)のコンサートホールの建築も手掛けたそうです。




オーストリア国会議事堂(Österreiches Parlament)の位置


シュタディオン通り・国会議事堂停留所で降りると、目の前には国会議事堂が見えます!


まるでギリシャのパルテノン神殿のような、オーストリア国会議事堂。
国会議事堂の真ん前でもウィーン市民が座ったり歩いたりしている光景が印象的でした。

国会議事堂周辺を散策していると、3人の胸像があるのを見つけました。
訪問した時は誰が誰だかわからなかったので、後に再びオーストリア議会公式ウェブサイト「この人はどんな人」(ドイツ語)で調べてみました。


左が、オーストリア社会民主党(Sozialdemokratische Partei)初代書記長やウィーン市長を務めたというヤコブ・ロイマン(Jakob Reumann)。
真ん中が、作家と医師の顔を持ちながら、オーストリア社会民主党の党首も長らく務めたというヴィクトル・アドラー(Victor Adler)。
そして右が、オーストリア繊維労働組合書記長を務め、後にオーストリア社会民主党所属国会議員としても活躍したというフェルディナンド・ハヌシュ(Ferdinand Hanusch)です。


オーストリア国会議事堂周辺にあった3人の胸像。
左から順に、ヤコブ・ロイマン、ヴィクトル・アドラー、フェルディナンド・ハヌシュ。
上には「共和国成立を称えて 1918年11月12日」とあります。


ウィーン市庁舎



次に市庁舎前広場・ブルク劇場停留所(Rathausplatz/Burgtheater)まで徒歩で行き、近くにあるウィーン市庁舎(Wiener Rathaus)に着きました。


ウィーン市庁舎は建築家フリードリヒ・シュミット(Friedrich Schmidt)のデザインにより、ルネサンス装飾が施された新ゴシック様式で建設され、国会議事堂と同じく1883年に完成した建築物だそうで、国会議事堂とは一味違った豪華さが感じられました。


また、ウィーン市庁舎の傍にある市庁舎前広場(Rathausplatz)では年間約950ものイベントが行われるそうですが、僕が行った昼間時にはフードコートが営業しており、手頃な値段で昼食を取ることができました!


※参考リンク
ウィーン市庁舎|ウィーン市(ドイツ語)




ウィーン市庁舎(Wiener Rathaus)の位置


市庁舎広場・ブルク劇場停留所で降りると、目の前にはウィーン市庁舎が見えます!


ウィーン市庁舎の真向いにはブルク劇場(Burgtheater)


ウィーン市庁舎。
市庁舎前広場ではフードコートが営業していました。


ウィーン市庁舎前広場のフードコートではミストシャワーが設置されています。
夏の強い日差しを避けながら涼しい気分で食事をすることができました。


ウィーン大学



昼食を済ませた後は、ウィーン市庁舎の北隣にあるウィーン大学(Universität Wien)へ。


ウィーン大学は1365年にオーストリア君主ルドルフ4世(Rudolf IV.)が建設した大学で、今も運営されている中欧の大学の中では、チェコ・プラハにあるカレル大学(Univerzita Karlova)に次いで2番目に古いものだそうです。


オーストリアがナチス政権下に置かれた際にはナチス思想教育機関としての一面があったそうで、ナチス犠牲者への追悼を込めた「戦争・暴力反対(Gegen Krieg und Gewalt)」の文言が、大学校舎の壁に書かれていたのが印象的でした。


大学キャンパス内には野外で寛げるスペースがありましたが、訪問時は快晴のお天気だったので、置かれていた椅子に座りながら、気持ちよく一休みできました。
通っている大学生が羨ましい!(苦笑)


※参考リンク
650年、そしてその先へ‐ウィーン大学の歴史|ウィーン大学(ドイツ語)



ウィーン大学(Universität Wien)の位置


歴史のあるウィーン大学の校舎


「戦争・暴力反対ナチス犠牲者への追悼を込めて(Gegen Krieg und Gewalt-Im Gedenken an die Opfer des Nationalsozialismus)」


ウィーン大学のキャンパス内にある、ゆったりくつろげる屋外スペース。
椅子が設置されていて、自由に座ることができます。


ヴォティーフ教会



ウィーン大学で昼食後の小休憩をした後は、更に北隣にあるヴォティーフ教会(Votivkirche)へ向かいました。


ヴォティーフ教会は1853年に当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I.)に対する暗殺が未遂に終わったことで、弟であるフェルディナンド・マクシミリアン公(Erzherzog Ferdinand Maximilian)が、「暗殺から逃れて救われた感謝を込めて、新しい教会を作りたい」とウィーン市民に呼び掛け、約30万人のウィーン市民からの寄付金を基に、1856年~1879年に掛けて建設された新ゴシック様式の教会で、ヴォティーフ教会の「ヴォティーフ」は、ドイツ語で奉納品を意味する「Votivgabe」から来ているそうです。


ヴォティーフ教会の近くには、19世紀末から20世紀前半に掛けて活躍したオーストリア生まれの精神医学者ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)から名づけられたジークムント・フロイト公園(Sigmund Freud Park)がありました。
青々とした芝生が茂っている公園は、休憩するには最高の場所でした!


※参考リンク
建築>歴史|ヴォティーフ教会(ドイツ語)
ジークムント・フロイト公園公園|ウィーン市(ドイツ語)




ヴォティーフ教会(Votivkirche)の位置


ヴォティーフ教会


ヴォティーフ教会の前にあるジークムント・フロイト公園で寛ぐウィーン市民


Part 5へ続く。


ウィーンへの旅行には、こちらの書籍もご参考に!

オーストリアの旅(ウィーン・リンツ) Part 3-路面電車を乗り継いで訪ねたハプスブルク家の離宮シェーンブルン宮殿!シシィチケットで入場!

Part 1はこちら
Part 2はこちら


オーストリア2日目に入りました!


路面電車を乗り継いでシェーンブルン宮殿へ向かう



オーストリアクラシックホテルウィーン(Austria Classic Hotel Wien)で朝食を取った後、路面電車を乗り継いでシェーンブルン宮殿(Schloß Schönbrunn)へ向かうことに。


前日にホテルで買っておいた、ミュージアムや観光名所、劇場、コンサート、カフェ、レストラン、ホイリゲなどでの210以上の特典に加え、地下鉄・バス・路面電車が乗り放題の48時間ウィーンカード(Wien-Karte für 48 Stunden)21.90ユーロ(約2,850円)を使って、路面電車に乗車しました。


ホテルの近くのプラーターシュテルン駅(Praterstern)停留所からウィーン市電5系統に乗車、終点の西駅(Westbahnhof)停留所でウィーン市電58系統に乗り換えて、シェーンブルン宮殿停留所に着きました。


プラーターシュテルン駅からウィーン市電5系統に乗車。
形式はE1形。


ウィーン市電E1形の車内。
古き良き味のある雰囲気。


西駅停留所で下車。


西駅停留所は、複数のウィーン市電の路線が集まる一大ターミナル。


西駅停留所でウィーン市電58系統に乗り換え。
形式は100%低床車「ULF」A1形。


「ULF」A1形。
加速度は速いですが、乗り心地はすごく良かったです!


ウィーン市電58系統でシェーンブルン宮殿停留所に到着!


シェーンブルン宮殿停留所に降りると、シェーンブルン宮殿が見えます!


シェーンブルン宮殿



シェーンブルン宮殿は、元々1690年代に神聖ローマ皇帝レオポルド1世(Leopold I)が建築士ヨハン・ベルナルド・フィッシャー・フォン・エルラッハ(Johann Bernhard Fischer von Erlach)に狩猟場として作らせたのが始まりでしたが、後にオーストリア皇帝マリア・テレジア(Maria Theresia)が別の建築士ニコラウス・パカッシ(Nikolaus Pacassi)に離宮として再建を命じたことでの幾たびの増築、そしてオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I)によって内装が豪華になり、現在の姿に至っているという建築物です。


歴代ハプスブルク家(Haus Habsburg)の栄華がこの建築物に反映されており、ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。



※参考リンク
シェーンブルン宮殿公式ウェブサイト(英語)




シェーンブルン宮殿(Schloß Schönbrunn)の位置


◎開園日

年中無休


◎開園時間

4月1日~ 6月30日:8:30~17:30
7月1日~ 8月31日:8:30~18:30
9月1日~10月31日:8:30~17:30
11月1日~3月31日:8:30~17:00


◎アクセス

地下鉄U4線シェーンブルン駅(Schönbrunn)又はウィーン市電10・58系統シェーンブルン宮殿停留所(Schloss Schönbrunn)からそれぞれ徒歩5分程


シェーンブルン宮殿入口


シェーンブルン宮殿は外観を見るだけでも、お腹一杯になる程の豪華さ!


シシィチケットでシェーンブルン宮殿に入場



僕は前日ウィーン中心部を散策した際に王宮(Hofburg)のチケット売り場で購入しておいたシシィチケット(Sisi Ticket)28.80ユーロ(約3,750円)で入場。


王宮入場時にも使えるシシィチケットは、購入日から1年間有効で、個々で入場券を買うより安く済む上に、特にシェーンブルン宮殿入場時には、通常のチケットを買うために並んでいる客を尻目に優先入場ができるので、非常に便利です!


実際僕が入場したのは開園から30分後の午前9時だったにもかかわらず、僕と同じような東アジアからの観光客を中心に(苦笑)列が出来ていたので、シシィチケットを買って正解でした!



シェーンブルン宮殿の敷地は、言葉では表現できない程の広さ



シェーンブルン宮殿に入り、先ずは宮殿の敷地を散策することにしたのですが、シェーンブルン宮殿の敷地の広さに驚きました!


何せ宮殿内にある庭園の中心部に立って周囲を見渡すと、敷地の端が遥か彼方に見えるほど遠くにあるんです。


シェーンブルン宮殿からほぼ庭園の中心部にあたるネプチューンの泉(Neptunbrunnen)まででも歩いて7分位は掛かりましたし、そこから丘の上にあるグロリエッテ(Gloriette)の辺りまで登るにも更に7分位掛かってしまいました(汗)。


シェーンブルン宮殿の敷地はとてつもなく広いです!
奥に見える建物はグロリエッテ。


シェーンブルン宮殿の敷地は縦方向にも横方向にも広くて、次元が違います。


シェーンブルン宮殿から、ネプチューンの泉と呼ばれる場所までで、歩いて7分程掛かりました(汗)。


シェーンブルン宮殿敷地内には、シェーンブルン動物園と呼ばれる動物園も入っています。
勿論単独でも入れます。


シェーンブルン宮殿の庭園内を歩いていて、日本庭園とあったので撮りましたが、何か物足りない。。。



「シェーンブルン(ドイツ語で「美しい泉」の意)」の言われとなったという泉。
現在は「シェーンブルン」というには少し無理があるかな、という感じ。。。


ネプチューンの泉辺りからシェーンブルン宮殿を見る。
ここから、反対側にある丘を登ってみます。


ファサードが特徴的なグロリエッテの建つ丘まで7分程掛けて登り切りました!
グロリエッテは現在改装工事中ということで、中には入れませんでした。


グロリエッテ辺りからシェーンブルン宮殿を見下ろすと、シェーンブルン宮殿がかなり遠くにあるように感じました。


シェーンブルン宮殿敷地内の森は、静かで自然溢れる場所



シェーンブルン宮殿を訪れてみて意外だったのが、敷地内にある森の素晴らしさです。
シェーンブルン宮殿の位置自体、ウィーン中心部から離れていて、閑静なところにあるのですが、敷地内の森が、都市の中にあるとは思えないほど静かで自然溢れる場所でした。
まさか宮殿に来て心が癒されるとは思ってもみなかったので、非常に良い印象を持ちました。


シェーンブルン宮殿を訪れる際には、宮殿だけでなく、是非森も歩き回ることをおススメします!


シェーンブルン宮殿敷地内の森は、8月ということもあって、緑の色が一層濃かったです。


シェーンブルン宮殿敷地内の森は、都市の中にあるとは思えないほどの静けさ。


シェーンブルン宮殿敷地内の森では、リスも元気に駆け回っています。


シェーンブルン宮殿敷地内の森で、地元のおじいちゃんがリスに餌をあげていました。


シェーンブルン宮殿で、まさか心が癒される場所があるとは、想像もつきませんでした。


シェーンブルン宮殿の中は非常に豪勢


庭園や森を歩き回った後、いよいよシェーンブルン宮殿の中に入ってみました。
残念ながら写真撮影禁止ということで、宮殿の中の写真は撮れませんでしたが、流石ハプスブルク家の離宮ということで、内装やハプスブルク家の所有物等あらゆるものが非常に豪華で、あっけにとられてしまいました(苦笑)。


シェーンブルン宮殿の中は写真撮影禁止。。。


Part 4へ続く。


ハプスブルク家やシェーンブルン宮殿に関しては、こちらの書籍もご参考に!