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2015/10/08

韓国遍歴と、韓国語勉強に使用した教材紹介 Part 2

韓国遍歴と、韓国語勉強に使用した教材紹介  Part 1はこちら

韓国の大学で3週間韓国語を勉強

タケオの海外遍歴でも書きましたが、大学4年生の時に、大学の短期留学プログラムを利用して、光州広域市にある朝鮮大学校(조선대학교)で3週間現地の学生の助けを借りながら韓国語を勉強しました。
語学授業の他にも、キムチ作りや伝統舞踊の文化体験、歴史施設の訪問等、非常に中身の濃い3週間でした!

国立5.18民主墓地(2008年8月6日撮影)

キムチ作り



少女時代との出会い

仁川国際空港から留学先の朝鮮大学校に向かうバスの中でのこと。
バスの中にはテレビが備え付けられており、その時にちょうど音楽番組が放送されていました。
それを見たとき、「字幕で出てくる歌詞の内容、そんなに難しくないし、メロディーすごくキャッチ―じゃん」と感じた時から、それまでBoAや東方神起しか知らなかった僕が、韓国で人気の歌手やグループを調べるようになりました。


その中でファンになったのが、女性9人からなる少女時代(소녀시대)でした!
なぜファンになったかというと、メンバーの中に日本でデビューしていた人がいるということと、メンバーが9人もいるのに、9人それぞれの個性が際立っていて、かつ魅力的だった、ということがあります。
あるメンバーは、性格はおとなしめだけど歌が物凄く上手いとか、またあるメンバーは、ビジュアルはメンバーの中で一番で、歌はそんなに上手くないけどダンスが凄く上手いとか。

少女時代メンバーの一人がテレビ東京系「ASAYAN」に出演していた時の映像


そして、彼女たちが出ていた歌番組やバラエティーを動画サイトで見ては、字幕に出てくる知らない単語をしらみつぶしにノートに書き留めていく内に、早いスピードの韓国語が聞き取れるようになったのです!

ちなみに、僕の少女時代おススメ音源はデビュー当初から2年目までに発表されたもの。
なぜならば、少女時代は2年目以降に韓国で爆発的人気となったのですが、その一方で韓国らしさを感じる楽曲がだんだん減ってしまったように感じるからです。





大学卒業後、韓国語の資格を取得

大学を卒業して社会人になってからは、自分一人で韓国語勉強を継続。
その中でも韓国語のレベルを知るためにも韓国語の試験を受験し、2012年に韓国の教育省(日本の文部科学省に相当)認定の韓国語能力試験(TOPIK)で、上から2番目の5級を取得するに至りました。
しかし、2014年度から試験内容が変更になったとのことなので、いつかまた受験しなければ、と考えています。

自分で韓国語を勉強する時のおススメ本は韓国語学習ジャーナルhanaです。
以前アルク社から出ていた韓国語ジャーナルが休刊になった時は非常に残念な思いだったのですが、韓国の今を知ることができ、リスニングの勉強に役立つCDも付く雑誌が再び出版されるようになったことは非常に良かったと思います。
他に勉強のために購入した本も合わせて紹介します↓




2015/10/07

韓国遍歴と、韓国語勉強に使用した教材紹介 Part 1

タケオの海外遍歴でも書いたように、僕は2008年からほぼ毎年に1回のペースで韓国に行っていますが、僕がどのようにして韓国と出会い、毎年韓国に行くまでに関心を持つようになったかを書きたいと思います。




2002年にハングルと出会う


僕の人生の中で、韓国という国を最初に意識したのは、何と言ってもサッカーワールドカップ日韓大会の行われた2002年のことです。
はっきり覚えてはいませんが、どこかで韓国向けのワールドカップの試合映像を見た時に、試合会場を表示しているように思えたところに目が行きました。
地理大好きな僕は、その時に、「ソウルや釜山はハングルでどう書くんだろう」と思い、ホームページをみながら、試合会場の地名を紙に書きだしてみました。
例えば、ソウルならハングルの서울とローマ字表記のSeoul、釜山ならハングルの부산とローマ字表記のBusanといった具合に、ハングルとローマ字表記を対比させてみました。
すると自分なりに、ㅅはs、ㅜはuの発音に対応するんだな、ということがわかってきて、新たな発見が出来たことでとても楽しくなってきたのです。
この時に「いつかは韓国語を習ってみよう」という思いが芽生えました。




大学で本格的に韓国語の授業を受講


僕の通っていた学部の第二外国語には韓国語は入っていませんでしたが、ドイツ語勉強経歴と、勉強に使用した教材紹介で書いたように、第二外国語の授業は1年間のみでしたので、2年生の時に、他に何かアジアの言語を学びたい、と思うようになりました。
僕の大学では学部関係なく取ることのできる「オープン科目」というものが存在し、その中に語学の授業も入っていました。
僕はそこで、「本格的に韓国語を学ぶチャンスが出てきた」ということで、「朝鮮語」(僕の大学では、韓国語は韓国だけでなく、北朝鮮や中国に住む朝鮮族等も使用する言語ということで、科目名を「朝鮮語」としています)の科目を受講することに。
ドイツ語と同じく、1週間に2回のペースで、1週間に2回で、2人の教授が1週間に1回ずつ教える形式でしたが、1人は本当の韓国人、もう1人は日本人だけど現代韓国社会に精通している方で、教え方もわかりやすく、また語順がほぼ一緒、漢字から成る多くの熟語を共通で使用しているという点で日本語と韓国語に近似性があることから、ドイツ語よりも早く理解できているように感じました。
こうして2年間、大学で韓国語の授業を受講し、韓国語の基礎固めが出来たのです。

※日本語と韓国語の近似性を、以下の動画で確認可!





大学で使用した教科書の中で、楽しく学べると好印象を持ったシリーズがこちら。
僕は一番レベルの高いものしか経験していませんが、文字だけでなく、絵や図も多く使用されており、勉強に飽きのこない構成になっています↓



Part 2へ続く。

2015/10/06

ドイツ語勉強経歴と、勉強に使用した教材紹介

僕がドイツ語を学ぶに至った動機や勉強課程について、まとめてみました。



ドイツ語を学ぶきっかけ

ドイツ語を学ぶことにしたきっかけは、大学で第二外国語を履修する必要があったからです。
特別すごい興味があったわけではなく、まあ至って普遍です(苦笑)

でも、第二外国語の選択肢の中には、中国語・フランス語・スペイン語等(他もあったかもしれませんが、忘れてしまいました)があったのですが、その中でドイツ語を選んだのには理由がありまして。

ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲「交響曲第9番」の第4楽章に出てくる合唱パートの歌詞を理解したかったのです。

それだけかっ、という感じもしなくはないですが(笑)
両親がクラシック音楽好きで、小学生の頃から僕にピアノを習わせた経緯もあり、僕もクラシック音楽に親しみを持つようになった中で、歌詞の意味がわからないよりはわかった方が良いのではないか、ということで、ドイツ語を選択したわけです。




大学の第二外国語としての授業

大学の授業は1週間に2回で、2人の教授が1週間に1回ずつ教える形式でしたが、先生は2人とも60歳以上で、これといって興味をそそる内容ではなく、しかもそのうちの1人は、英語とラテン語とドイツ語を比較しながら教える形式で、当時の僕は、「ドイツ語を学びに来ているのに、何故ラテン語に言及するんだ?」と思いながら授業を受けていたのですが、幸いにも単位は取得することができました。
(ラテン語がドイツ語理解の理解に役に立つことは、その後知ることになるのですが。。このことは後にでも書ければと思います。)




NHKEテレのドイツ語講座

僕の学部の第二外国語の授業は1年間のみでしたので、その後は自分で勉強を続けていくことになります。
とは言え、NHKのEテレで放送している1週間に1回のドイツ語講座を視聴するのみ、という状況が長く続きました。
それでも、2012年にドイツ語技能検定2級を取得するまでに至りました。

ドイツ語技能検定の試験対策として使った本。
文法が比較的わかりやすく纏められている対策本だと思います↓





英語からドイツ語を学ぶ

2013年から取り組み始めたのが、英語からドイツ語を学ぶことです。
同年にフランス語をかじり始めたのですが、英語とフランス語は近似性があるということで、基本的に英語から学んだことで(日本語のサイトも少し参考にはしましたが)意外と早く感覚を掴めたことと、日本語からドイツ語を学ぶことに限界を感じ始めたことで、ドイツ語勉強も英語から入ってみよう、と思ったのです。

その際に使用したのが、ドイツの国際放送局Deutsche Welleが公式ホームページ上で公開している以下の学習プログラムと、Duolingoです。
Deutsch – warum nicht?
Deutsch Aktuell

Duolingoは、僕のiPhoneの言語設定をわざわざ英語にして、今でも復習として使っています。
今はパソコンからでもできるので、非常に有用だと思います。

英語とドイツ語は同じゲルマン語系語族ということで近似性があるので、ドイツ語のさらなる理解に役に立ちました!




ベルリンの語学学校で学ぶ

勤めていた会社を退職することになり、でも直ぐに転職というのは気が引けるということで、やってみたかったのが、アジアとは全く文化の異なるヨーロッパでの長期間の生活と、そこでの言語勉強でした。
じゃあどこの国にしようか、ということで選んだのが、ワーキングホリデービザの取得条件が厳しくなく、言語としてもそれなりに知識をもっていたドイツでした。
滞在地をベルリンにしたのは、やはり旅行で行っていたベルリンの印象が非常に良かったことです。
他のドイツの都市にはない、独特の自由な雰囲気、都市にもかかわらず公園や緑地が広く整備されているところに惹かれたのです。

ベルリンの語学学校は2015年4月~9月まで通い、そこでのドイツ語レベルはB1から始まりましたが、勉強した甲斐もあり、9月にはC1に辿りつくことができました!

また、ドイツ語勉強は勿論のこと、他国からの生徒・日本語を勉強するドイツ人・ベルリンで生活する日本人と知り合えたことは、これまでにない刺激的な経験となりました!

2015/10/05

ドイツの語学学校の授業形態から考える、日本教育のあり方について

以前、僕の通ったベルリンの語学学校では、最初のB1レベルのクラスは文法の総復習だったが、中級から会話中心で授業が進む、ということを書きましたが、特にどの点が印象に残ったかということを振り返ってみると、

あらゆるテーマに対して自分の意見を述べることを求められる

ということです。

B1レベルのクラスで文法の総復習を行ったとはいえ、B1レベルのクラスで使ってきた教科書はどんな感じだったかというと、決して、このページでは現在完了形を習う、とか、別のページでは助動詞を習う、とかいうように、文法に特化したものではなく、それぞれの課で身近な問題が取り上げられ、その議論の中で新しく出てきた文法について学ぶ、という感じなのです。
これはレベルが上がっても変わらない傾向です。
例としては、環境問題、人とのつながりのあり方、食のありかた、休暇の過ごし方、等です。

大学の授業で使ってきたドイツ語の教科書の中身を振り返ってみると、ある登場人物の日常会話や、昔の物語を題材にしていた記憶がありますが、それよりかはより現実に即した、興味をそそる内容になっていると僕には感じました。

B1レベルのクラスで使った教科書

B2レベルのクラスで使った教科書


そして、そういった問題に対して、教師は必ず「あなたの母国の状況はどうなのか」・「あなたはどう考えるか」という問いを投げかけ、「なぜそうなのか」・「なぜそう考えるのか」という理由付けも
求めます。

日本で経験した授業を振り返ってみると、日本では「協調」や「常識」が重視されることで、ある問題に対して個々の意見を述べる場というのがなかったり、もし述べた意見が「常識」を外れていると、頭ごなしに否定されてしまう、というのが現実のような感じですが、語学学校では、ちゃんとした理由付けで意見を述べれば、それを真っ向から否定されることはありませんでした。(とは言え、その理由付けが難しい点ではありますが。。)

そういうところから考えたことは、日本人は、学校で自分の意見を述べると先生や他の友達から否定されるのを恐れてしまうため、意見を持たなくなってしまうのではないか、ということです。
確かに「協調」を学ぶことは、社会でチームワークを行う上で非常に役に立ちます。
しかし、そうはいっても人間は千差万別、人の考えは一様ではありません。
「協調」が重視されすぎることで、ある意見を有無を言わず否定するようでは、その人自体を否定してしまうことになりかねません。
大事なのは、ある問題に一つのグループが対処する時、同じ輪の中での様々な意見を尊重しつつ、時には譲らず、時には譲歩しながら、どのようにグループとしての意見をまとめ上げ、グループとして出した結論を以て問題に対処していくか、というプロセスだと思うのです。
そういうことが日本の教育、特に小学校や中学校で教えられれば、もっと日本人があらゆる問題に対して議論を積み重ねて結論を導き出すことで、過剰に対立することなく、より多くの人が受け入れやすい社会を作ることができるのではないか、と思います。

2015/10/03

ドイツ再統一から25年 ドイツ大統領フランクフルトで難民問題について演説

1989年10月3日に東西ドイツが再統一して25年、ドイツでは各地で記念行事が行われているようです。
その一つとして、ドイツのヨアヒム・ガウク(Joachim Gauck)大統領がフランクフルトで演説を行ったのですが、ドイツ有力紙南ドイツ新聞でその演説に関する記事を抜粋して見てみます。

Die Integration von Flüchtlingen ist für Deutschland nach Ansicht von Bundespräsident Joachim Gauck eine ähnlich große Herausforderung wie die deutsche Einheit.
(ヨアヒム・ガウク大統領は、難民のドイツ社会への溶け込みを、ドイツ統一と同じくらい大きな挑戦である、と考えている。)

Heute müssten viel größere Distanzen überwunden werden als zwischen Ost- und Westdeutschen, die eine Sprache und eine gemeinsame Kultur und Geschichte gehabt hätten. Deswegen forderte Gauck Zeit und Geduld für diesen Prozess.
(言語・文化・歴史が共通していた東西ドイツより大きな溝を埋めていかなければいけない。そのためには時間と寛容さが必要である)

Die Bürger der ehemaligen DDR hätten bis 1990 kaum Berührung mit Zuwanderern gehabt. Trotzdem zeigte sich Gauck zuversichtlich, dass Deutschland die Flüchtlingskrise meistern könne.
(旧東ドイツ市民は1990年まで移民との接点が全くなかった。それでもガウク大統領は、ドイツは今回の難民問題を乗り越えられる、と信じている。)

Den Empfang der Flüchtlinge in Deutschland in diesem Sommer nannte er ein "starkes Signal gegen Fremdenfeindlichkeit, Ressentiments, Hassreden und Gewalt". Von freiwilligen Helfern wie Behördenmitarbeitern werde Außerordentliches geleistet. Gauck sprach jedoch auch an, dass es Angst vor der Größe dieser Aufgabe gebe. "Dies ist unser Dilemma: Wir wollen helfen. Unser Herz ist weit. Aber unsere Möglichkeiten sind endlich."
(大統領は今夏のドイツでの難民の受け入れを「外人差別・ルサンチマン・ヘイトスピーチ・暴力にたいする強いシグナル」と名付け、公的機関の職員と共にボランティアが非常に偉大に貢献している、と述べた一方、この問題に対する不安もあることを認めている・「私たちは助けたい。私たちの心は広い。しかし可能性は限られている」)

Gauck mahnte daher die Europäische Union zu einer abgestimmten Asylpolitik. Noch führe der Druck die europäischen Staaten nicht zusammen. Doch könne es "keine Lösung in der Flüchtlingsfrage geben - es sei denn, sie ist europäisch". "Wir werden den Zustrom von Flüchtlingen nicht verringern können - es sein denn, wir erhöhen unsere gemeinsamen Anstrengungen zur Unterstützung von Flüchtlingen in den Krisenregionen sowie vor allem zur Bekämpfung der Fluchtursachen", sagte Gauck. Die heutige Offenheit lasse sich zudem nur erhalten, wenn die europäischen Außengrenzen besser gesichert würden.
(そのため、ガウク大統領は欧州連合に難民問題に対する統一見解を求めている。「欧州各国はこの問題に対して一枚岩ではなく、解決策が見つからない可能性もある。私たちは難民の流入を減らすことはできないが、危険地域での難民の支援・難民急増の要因に対する戦いへの努力を高めることはできる」)

Ausdrücklich forderte Gauck auch eine Integrationsleistung der Flüchtlinge. "Unsere Werte stehen nicht zur Disposition. Toleranz für Intoleranz wird es bei uns nicht geben", sagte er und verurteilte Antisemitismus und eine Diskriminierung von Frauen oder Homosexuellen. "In einer offenen Gesellschaft kommt es nicht darauf an, ob diese Gesellschaft ethnisch homogen ist, sondern ob sie eine gemeinsame Wertegrundlage hat."
(ガウク大統領は明確に難民の社会溶け込みに対する努力を求めた。「私たちの価値は意のままではない。不寛容への寛容はない」と述べ、反ユダヤ主義と女性やホモセクシュアルに対する差別を批判した。「開かれた社会では、この社会が単一民族的であるかが問題なのではなく、統一した価値根拠があるかが問題である」)

Auch an dieser Stelle forderte Gauck wieder Geduld. Es brauche Zeit, bis sich die Neuankommenden an eine Gesellschaftsordnung gewöhnen. Eine Debatte müsse sein, doch: "Lassen Sie aus Kontroversen keine Feindschaft entstehen", sagte Gauck vor 1300 Gästen in der Frankfurter Alten Oper.
(ガウク大統領は寛容も求めた。「新しく来た人たちが社会の規範に慣れるには時間が必要だ。諍いから敵意関係が生まれないないように」とガウク大統領は1300人のゲストの前で述べた。)




今回の演説の中で、ガウク大統領は難民問題について取り上げたようです。
この演説からは、無限に助けることはできないだろう、実際にドイツ内でも難民への差別が存在する(特に旧東ドイツで)けど、それでも寛容の心を持って、難民への支援に取り組みたい、というドイツ政府としての見解をうかがい知ることができます。
特に象徴的な言葉が"Unsere Werte stehen nicht zur Disposition. Toleranz für Intoleranz wird es bei uns nicht geben"「私たちの価値は意のままではない。不寛容への寛容はない」です。
今の日本社会だと、ヘイトスピーチに関してでさえ「自由な意見を阻害するな」という意見が少なからずありますが、ガウク大統領は上記の言葉で以て、人間の存在価値の前では差別や暴力はあり得ない、という意思を明確にしています。
改めて今の日本社会の一部の層が、「自由」という言葉をいかに履き違えているか、ということを考えさせられます。

タケオの海外遍歴

ブログ名に「トラベラー」と冠している通り、僕は良く旅行に行きますが、最近は専ら海外旅行です。
なぜかというと、日本のニュースでは鮮明に写らない景色、日本にいるだけでは知ることができない事実を、自分の目で、自分の耳で感じ取りたいのと、様々な分野でグローバリゼーションが避けられない中、積極的に世界を知るべきだと思っているからです。
僕が高校生の時、歴史科目は日本史と世界史のどちらかの選択でしたが、その中で世界史を選んだのも、上記の理由からです。
というわけで、これまで僕がどのような海外経験を踏んできたかをまとめてみました。



初めての海外:イギリス・ロンドン


僕にとって初めての海外はイギリスのロンドンです!
確か幼稚園生の時だったと思いますが、その頃は超円高時代で、対ポンドも今と比べれば非常に日本円に有利なレートだったと思います。
その時に両親が各自1週間ずつロンドンの語学学校に行っていて、僕もロンドンに連れて行ってもらったのです。
当時は幼稚園生でしたので多くの記憶は残っていませんが、鮮明に残っているのは、落書きだらけの地下鉄(Underground)と、家族で行ったレストランで、黒人移民のウェイターに声をかけられたことです(苦笑)
当時日本の鉄道しか知らない僕にとって、車体に落書きが書かれているのは驚きではありましたが、一方で歴史を感じさせる車体は、小さかった僕でもロンドンの地下鉄を好きになるには十分の魅力があったものです。
また、偏見と感じ取られても仕方ないかもしれませんが、当時日本人しか知らない僕にとって、まったく肌の色の違う人に出会ったことは、小さいながら非常に新鮮な出来事でした。
振り返ればこの時の体験が、今の海外志向の原点になっているので、小さいながら海外に連れて行ってもらった両親にはとても感謝しています。


初めての海外長期滞在:イギリス・スワネージ(3週間)


初めての海外長期滞在経験は、これもまたイギリスです。
しかし、今度はイングランド南部に位置する、スワネージ(Swanage)という小さな町です。
なぜそこだったかというと、当時通っていた高校と現地の学校が提携関係にあり、そこの学校に通う3週間のプログラムに参加したからです。
実際は1年間行くプログラムもあり、両親はそこに行かせたかったのですが、僕が1年間という長さに不安を持ったので、3週間のプログラムを選択。
というわけで、僕自身はそこまで乗り気ではなく、ホームステイという滞在形態もあまり性に合わなかったので、良い経験だったとは言えないです。
しかし、午後のスポーツプログラムでクリケットというスポーツ(イギリス発祥で、野球に似ているスポーツ)を知ることが出来たことは、世界にはまだまだ知らないスポーツがあるということを知ることが出来て良かったです!


クリケットとはどんなスポーツか、というのがこちら↓
クリケットワールドカップ2015決勝 オーストラリアvsニュージーランド


初めての個人海外旅行:アメリカ合衆国・ニューヨーク

人生で初めて、航空券と宿を自分で取って、一人で行ったのが、アメリカ合衆国のニューヨークです。
自分の力で初めて行くところは、世界の経済の中心地にしたい、ということで、大学生最後の春季休暇に行ったわけですが、タイムズスクエアのネオン、自由の女神をこの目で見たことは感動ものでした!
また、スポーツ観戦好きとしては、NFLのスーパーボウル開催中の雰囲気を感じられたことがとても良かったです。
ビビりなので、ホテルの部屋での観戦でしたが(笑)


タイムズスクエア(2009年1月31日撮影)

第43回スーパーボウル勝者ピッツバーグ・スティーラーズのQBベン・ロスリスバーガー(をテレビで笑)

自由の女神(2009年2月2日撮影)


最も多く訪問している外国:韓国


2008年からほぼ毎年1回のペースで訪問しています。
大学2年生時に大学の授業で韓国語を勉強し始め、初めて訪れたのが2年後の大学4年生の時。
大学の短期留学プログラムを利用して、光州広域市にある朝鮮大学校で3週間現地の学生の助けを借りながら韓国語を勉強しました。
その時にできた友人と、僕が通っていた大学で知り合った韓国人のおかげで、今でも頻繁に韓国を訪れています。

光州広域市の繁華街(2008年8月4日撮影)


最も印象に残っている個人旅行:ドイツ(2012年4月・5月)

2012年は対ユーロの為替レートが1ユーロ110台と円高となり、高校時代以来行っていなかったヨーロッパに行くチャンスだと思い、訪れたのがドイツ。
作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハやフェリックス・メンデルスゾーン等が活躍したライプツィヒと首都ベルリンを訪れたのですが、何と言っても一番心に残ったのがベルリンにある巨大な公園のティアーガルテン(Tiergarten)!
ベルリンの壁という悲劇と首都のイメージしかなかった僕にとって、巨大都市にあって新緑を楽しめるという、日本ではあまりあり得ないことにとても感動し、ベルリンが非常に好きになったのです!

新緑のティアーガルテン(2012年5月1日撮影)


最長滞在経験:ドイツ・ベルリン(6ヶ月)


2015年4月~9月にかけて、ドイツのベルリンにある語学学校でドイツ語を勉強しました!
それまでの海外最長滞在期間が3週間だけで、それ以外は短期間の旅行のみの海外経験でしたので、日本とは全く異なる文化の国での日常生活、他の国からの生徒との交流、ドイツ人との交流等、これまでとは全く違う経験を出来たことは、僕の人生にとっての大きな財産でした!




これまで訪問した国を年代にまとめてみましたよ(2018年11月更新)↓

1992年(?):イギリス
1994年   :オーストラリア
2002年   :イギリス、フランス
2003年   :アメリカ合衆国(フロリダ州・カリフォルニア州)
2007年   :アメリカ合衆国(ハワイ州)
2008年   :大韓民国
2009年   :大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(板門店)、アメリカ合衆国(ニューヨーク州)
2010年   :大韓民国
2011年   :中華人民共和国(香港、深圳)、大韓民国
2012年   :ドイツ、大韓民国、中華人民共和国(北京・天津)
2013年   :ハンガリー、スロバキア、アメリカ合衆国(マサチューセッツ州・ニューヨーク州・ワシントンDC)、オーストリア、タイ
2014年   :イタリア、スイス、インドネシア、ポーランド、ドイツ、フランス、大韓民国
2015年   :ドイツ、チェコ、フィンランド、エストニア、大韓民国
2016年   :大韓民国、中華人民共和国(吉林省)、フィリピン、トルコ(イスタンブール)
2017年   :インド(ムンバイ)、台湾、シンガポール、ロシア
2018年   :ドイツ(ベルリン・ロストック)、モロッコ、カンボジア

2015/10/01

ベルリンの語学学校に半年間通ってみて

2015年4月~9月の半年間ベルリンの語学学校に通ってみての感想を綴りたいと思います。


中級より会話中心で進む授業

僕はA1~C2のドイツ語レベルの中でB1からスタートしたのですが、B1では日本の大学の授業でもやってきた文法の総復習をしている感じでしたが、B2からは明らかに会話中心で授業が進みました。
具体的には、他のクラスメートとある一つのテーマに対して意見を述べ合ったり、電話の会話の練習をしたり、大学の講義で行うようなプレゼンテーションを行ったり等です。
文法・読解中心の授業に慣れていた僕としては、自分が思っているようなことをすらすら言えず、辛い時期が多かったですが、振り返れば口頭練習としては非常に役立ったと思っています。


進むスピードが速く、少し厳しめ


僕が通っていた語学学校は、ドイツでの勉学・就職を考えている者を優先対象としているようで、授業のスピードが速かったり、文法間違いにも直ぐに指摘が入ります。
但し、語学学校で初めてドイツ語を習うという人や、特に欧州からの生徒の中には、高校或いは大学の休暇を利用して来ている人がいたりするので、授業についていけない生徒と先生の間で衝突が起こることもあったようです。
僕がいたクラスでは幸いそのような生徒はいませんでしたが。


欧州・米大陸出身者はドイツ語学習のスピードが速い

これは冷静に考えれば簡単に想像がつきますが、実際平均的に欧州からの生徒が、話すスピードが流暢だったり、語彙が非常に豊かなのを見て、日本人としては相当に勉強しないと追いつくことができないな、ということを感じました。


欧州の人々は、国境を軽々越える

上にも書きましたが、特に7月・8月には、欧州の高校或いは大学の休暇を利用して来ている人が多かったです。
大学院生くらいに見えた生徒が、実際に年齢を聞くと17歳や18歳だったりすることがあり、僕と10歳近くも離れているのかと、非常に驚いたものです。
日本人は、海外留学といったら北米や欧州中心で、特に高校生の年代が中国や韓国にこのような形で行くということはあまり一般的ではないと思うので、この身軽さは羨ましい限りです。


どの語学学校が合うかは、価格ではなく、先生で決まる

ある意味悲しい事実ですが、どれだけ高いお金を払っても、学校内での授業方針は結構先生による部分が大きいので、自分に合う先生と出会えるかが非常に重要だと感じます。
これは最初に生徒が決められることではないので、運次第と言わざるを得ないですが。。


これからドイツの語学学校に行こうと思っている方は参考にしてみて下さい。