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2015/10/05

ドイツの語学学校の授業形態から考える、日本教育のあり方について

以前、僕の通ったベルリンの語学学校では、最初のB1レベルのクラスは文法の総復習だったが、中級から会話中心で授業が進む、ということを書きましたが、特にどの点が印象に残ったかということを振り返ってみると、

あらゆるテーマに対して自分の意見を述べることを求められる

ということです。

B1レベルのクラスで文法の総復習を行ったとはいえ、B1レベルのクラスで使ってきた教科書はどんな感じだったかというと、決して、このページでは現在完了形を習う、とか、別のページでは助動詞を習う、とかいうように、文法に特化したものではなく、それぞれの課で身近な問題が取り上げられ、その議論の中で新しく出てきた文法について学ぶ、という感じなのです。
これはレベルが上がっても変わらない傾向です。
例としては、環境問題、人とのつながりのあり方、食のありかた、休暇の過ごし方、等です。

大学の授業で使ってきたドイツ語の教科書の中身を振り返ってみると、ある登場人物の日常会話や、昔の物語を題材にしていた記憶がありますが、それよりかはより現実に即した、興味をそそる内容になっていると僕には感じました。

B1レベルのクラスで使った教科書

B2レベルのクラスで使った教科書


そして、そういった問題に対して、教師は必ず「あなたの母国の状況はどうなのか」・「あなたはどう考えるか」という問いを投げかけ、「なぜそうなのか」・「なぜそう考えるのか」という理由付けも
求めます。

日本で経験した授業を振り返ってみると、日本では「協調」や「常識」が重視されることで、ある問題に対して個々の意見を述べる場というのがなかったり、もし述べた意見が「常識」を外れていると、頭ごなしに否定されてしまう、というのが現実のような感じですが、語学学校では、ちゃんとした理由付けで意見を述べれば、それを真っ向から否定されることはありませんでした。(とは言え、その理由付けが難しい点ではありますが。。)

そういうところから考えたことは、日本人は、学校で自分の意見を述べると先生や他の友達から否定されるのを恐れてしまうため、意見を持たなくなってしまうのではないか、ということです。
確かに「協調」を学ぶことは、社会でチームワークを行う上で非常に役に立ちます。
しかし、そうはいっても人間は千差万別、人の考えは一様ではありません。
「協調」が重視されすぎることで、ある意見を有無を言わず否定するようでは、その人自体を否定してしまうことになりかねません。
大事なのは、ある問題に一つのグループが対処する時、同じ輪の中での様々な意見を尊重しつつ、時には譲らず、時には譲歩しながら、どのようにグループとしての意見をまとめ上げ、グループとして出した結論を以て問題に対処していくか、というプロセスだと思うのです。
そういうことが日本の教育、特に小学校や中学校で教えられれば、もっと日本人があらゆる問題に対して議論を積み重ねて結論を導き出すことで、過剰に対立することなく、より多くの人が受け入れやすい社会を作ることができるのではないか、と思います。